1999中国・北京市の旅
白雀、2022冬のオリンピックで、北京旅行のこと思いだしましてんや!
◆ 1999年の8月のことでしたぁ!
北京観光が、旅行会社の宣伝に見かけるようになってきてましたぁ!
それも、かっこうよう書いてありましてんや!
費用が安いうえに、もりだくさんの観光でおましたんやぁ。
なんとのう、おいらんち 敬遠してた国でしてんやがぁ?
こんな北京なら、ちょっと行ってみたい気になりましてん。おいらんち!
ついついと 宣伝につられましてんやわぁ。
生来の出好きからなぁ、乗り気が止まりまへんでしてん。
そんなわけで実行やん、団体ツアーやと思うててんやがなぁ?
この出発日にゃ、おいらんち二人だけでしてん。関西空港!
☆1. 北京空港に着いて、税関手続きまで地上をのどかに歩きましたぁ!
ほい ここ田舎の飛行場やんかぁ!
陽射しはきついが、あんまし暑いことおまへんかったぁ!
そうでんにゃ、乾燥してて さっぱり感おましてん。
蒸し暑い大阪よりも、汗なしでむっちゃ楽ちんやったぁ!
狭い到着ロビーやん、ターンテーブルのでっかいスーツケースを取っってぇ。
出口で、現地ガイドのオバチャンとうまく出会ったぁ。
大きな名札をかかげてましたからなぁ、分かりましてんや。
日本のオンボロのワゴン車に乗り込みましたぁ!
☆2. 中国 北京市(河北省の北側にある) ベイジン‐中国語読み。
中華人民共和国/中国の首都である。
省には、入らず特別区ということやなぁ。
人口 3000万人ぐらいやそうな。
実際の数は、まったくわからないんやそうな。
現地旅行会社のツアーガイドのおばちゃんの話。
当時は、仕事を求めて 北京へ北京へと地方からどんどん人口流入やという。
棲むところに困って、公園生活者が多いともいう。
☆3. 高級ホテルがやっと一つできてんやってぇ!
おいらんちのツアーも、 泊まりました。
たまたま 二人だけのツアーでしてんや。
日曜日の出発やってんでぇ?
なんちゅうことかいなぁ?静かな静かな、ほんまぁ静かなホテルでしてん。
殆ど、お客はんにあいまへんでしてん。
仕事を休むんや、多いん金曜出発なんかぁ!
食事は、ガイドはんが連れていってくれた街の食堂でしたぁ。
ガイドのおばちゃん、若い頃に岡山県に棲んでたそうな?
そんなんで、日本語も中国語もペラペラでしてん。
もう一度、でけるんやったら、岡山に行ってみたいんやってぇ?
「旅費の5万円あったらなぁ?」
一年の稼ぎが、それほどの金額やという。
「一生できないことやわぁ!」言うてましたぁ。
旅行会社で現地案内人してたら、高い収入あると思うたがぁ?
☆4. ホテルのあたりは、王府井(ワンフーチン)という地区みたいやったぁ!
夜まで、自由行動の時間でしてん。
「さっき歩いた区域だけ、他はいかないでぇ。自由行動なぁ!」と念おしてたガイドはん!
ホテル前の広い広い道路を歩きましてん。
自動車ちゅうたら、あんまし見かけまへんでしたぁ!
@ デパートも一つでけてましたぁ。なんて名前やったぁ?
観光がてら入りましてん、どんどんエスカレーターで上っていきましたぁ。
各階それぞれ日本のデパートみたいに商品だらけでしてん。
まったく ちゃうとこ一つあったぁ?
それ、お客はん、おいらんちの二人だけやいうこと。
店員はん、ほんま暇そうでおましたぁ!
そらっ お客はんきたでぇ。
ほんでぇ、どの売り場でも丁重に声かけてくれますねん。
くっついて離れませんにゃ!
おちつかないんで、さーと見てまわっただけで出てきましてんや!
なんせ、買う気なんておまへんでしてん。見てるだけぇぇ!
A もう一つは、日本のスーパーマーケットみたいな大型店おましてん。三階建てやったぁ。
食品以外は、なんでもありそうやってん。
いろんなもん売ってましてん。百貨店でおますわなぁ!
値札を見ると、デパートより各段も安い感あったぁ。
1999念の頃、1人民元=14日本円でしたぁ。
女性客いっぱいでぇ、中国語がうるさくて逃げ出してきましてん。
お客半、いわゆる、地方からのおのぼりさんでおましたわぁ。
B 自由時間でも、ここからここまでと手で示して、消えましてん。ガイドはん!
さっき ガイドはんとサーッと歩いた街並みをなぁ。
もう一回、じっくり見て歩きましてんや!
そうやん、不用意に路地に入り込むと、トラブルあるかもなぁ?
ああ 電気屋やん、テレビは電視台かぁ。
ふうん ここらは、メイン商店街やなぁ。
カラオケ屋は、拉okやったぁ!
いろんな店あったがぁ、あんまし何屋さんかわからんかったぁ。
通りが、かなり広いんでぇ?
C そうやん、今年は中華人民共和国の建国50周年やったぁ!
秋に国慶節あるんで、あちこちで道路工事してましてん。祝賀行事!
下水道管敷設とかで、掘り返してましたわぁ。
スコップ・ツルハシなんかで人海戦術の工事でおましたぁ。
どこの国でもありますんやなぁ、行事の前にゃ建設ラッシュ!
道路じゃ、車は少ないでしてん。
走ってる車はほどんど日本とか欧州のの中古車でしたぁ。
右ハンドルや左ハンドルで、オンボロのまま使ってましてん!
そうやん、車道は、自転車がむっちゃ多い道路でした。
信号は、殆どなくて、あってもみなはん無頓着みたいでしてん。
そやさかい、赤信号でも、止まる自転車も歩行者もあれへんかったぁ!
往復数時間もかかって、普通に通勤してるという。きつい労働やぁ!
そういやぁ、 鉄道網って見かけなかったなぁ!
北京へ北京へと、我れも我れもと仕事を求めてやってくるという!
これぞ、人口の都市集中やなぁ!
昭和の時代の日本の風景を思い出しましたぁ!
D 北京市内見物にゃ、車やのうて、自転車でリヤカーをひっぱる乗り物で観光しましたぁ?
観光地の京都の嵐山なんかで、観光人力車があるみたいにでおます。
珍しいんで乗ってみましてん。
ガイドはんは、別のに乗って後ろから大声で観光案内してくれてましてん。
うん そうやぁ。日本語やん、うるさいだけなんかぁ?
広い広い公園おましてん。
布団を運びこんで寝ているおじさんが、あちこちにいました。
起きてるひとらは、マージャンしてましたぁ。
勿論、おしゃべりや食事してる人もいました。
みんな裸同然でしてん。8月やってんで。
暑さだけやのうて、仕事にあふれて貧乏でしてん。
さすがに、おっさんばっかしでおましたわぁ!
E 国土が広いんで、夏は暑く。冬は寒冷でおます。
北京市じゃ、-10℃の夜は、冬なら普通であるそうや。
そうやん、大陸性気候って、気温差が極端なんやぁ。
快晴やと、上昇気流で地面が冷えますんや。地表の放射冷却でおますわぁ!
ほんでも、札幌市と同じ北の緯度ですんや。
札幌市にゃ、海がすぐ西側にあるんでぇ、雨も雪も降りますわぁ。
ところが、北京の周りじゃ、雨も雪もあんまし降らんのやってぇ!
そうそう 川が少ない理由でおますぅ。
作物の生育にゃ、水は大切でんがなぁ!
ガイドはん、生活揚水の不足を嘆いてましてん。
まぁ 13億人の生活用水やん、難儀やろってぇ!
F 北京市の近くの東経120度を中国子午線として、南中時を12時としてる。
東西にも南北にも広い国土やが、一つの標準時でしきってまぁす。
北京は、だいぶと東寄りやがなぁ?
西の端にあるウイグル地区じゃ、困るやろなぁ?
標準時と実際の時刻の差、でっかいやろってぇ。
ウイグル南中時を非公式でウイグル標準時としているんやそうな。
まぁ そんな地区があること、知りまへんでしたがぁ。
政府じゃ、国土はでっかくとも、一つの中国であるんやいうとこかいなぁ!
「写真機は、カバンに入れて歩くようにときつく言うてたガイドはん。」
そんなわけで、殆どフイルム減ってまへんでしてん。
あっ ちゃうな、撮影のタイミングつかめへんかってんや!
※※ 2022冬の北京オリンピック!
おいらんちも、見てましたぁテレビ。聴いてましたぁラジオ。すんばらしかったぁ!
メディアからの情報じゃ、北京の北西にある山々を利用して開催であったぁ!
ここじゃ、フリースタイルの競技ありましてん。
2000m級の山がある。北西の方角にぃ!
しかし、乾燥地なので、雪が降り積もることが少ないんやそうな。
つまり 人口降雪機でもって大量の雪をつくっているわけである。
アルペンスキーやフリースタイルスキーの会場をつくってまぁす。
山の上じゃ、-22℃、下じゃ-10℃という。
そやさかい、噴霧器ですぐに雪をふらせるんやぁ!
ほんでも、硬い氷の塊がまざってるんやそうな?
ごつごつしてて、選手らも滑りにくいんやってぇ。
冷凍庫の中みたいやん、寒さ大作がしんどいやろなぁ!
厚着の上に、さらに厚着かいなぁ。
じっとしてたら、凍りつきまっせ!
そこへ、久ぶりに、思いがけないほどの雪が降りましたぁ!
うまいこと、オリンピック開催中荷やでぇ!
単に喜べへんそうな?
人工の雪と天然の雪とじゃ、
混ざりあった雪じゃ、さらに複雑なんやそうな?
滑るいうても、思うようにゃ滑れまへん?という選手!
G ところが、スキージャンプ会場は、北京市の鉄工関連の工場跡地にジャンプ台を組み立ててる。
あの排気ガスで悪名高き工場地、
排気ガスだらけの鉄鋼工場を取り払って更地にしてんやってぇ!
高い高い滑り台みたいなスキージャンプ台をつくったんですわな。
よろしまんな、広い空地でけてんや!
そこに、ビルを建てて ジャンプ競技場を 造ったぁ。
勿論、人口雪でノーマルヒルとラージヒルをつくっての競技でおます。
スタート地点にある国際映像のカメラが、時々撮影するんや。
ちらっと周りを、まだ鉄工場みたいなんがあるんやってぇ?
それに 2008年開催の夏のオリンピック会場の施設なぁ!
改装したりして、今一度の活用でおまぁすぅ。
なにせ、初めての夏のオリンピックも、
今回の初めての冬のオリンピックも、おんなじ北京での開催でっからなぁ!
夏も冬も同じ都市での開催、オリンピック史上じゃ初めてやぁ!
H
そういやぁ 2014年のロシアのソチでの冬のオリンピック!
ここも雪のない南部のソチの街、人口降雪機が大活躍してんやった。
技術の輸入でおますなぁ!
雪室を論じるよりも、初めから-10から-20℃のせかいやん、ほぼ氷でんな。
滑りにくいし、こけたら痛いやろな?
スキーで滑るというよりも、高いとっから落下してくるんや。
ほんまぁ、命がけやろなぁ!
高いとこにあるスタート地点、-20℃やという。
選手は、吹く風で決まる青信号でスタートやん。
毛布を被って待ってるんやがぁ、筋肉もかたまるでぇ!
冷えるんで、下で待ってる関係者ら、バタバタしての耐寒やったぁ。
放射冷却?乾燥して雪が降らない大陸の寒冷地やぁ!
おいらんち、メディアで観戦でんにゃ。コタツの中からやぁ!
現地の寒冷の中で、どなたはんもご苦労様でおますなぁ。
選手のみなはん!関係者のみなはん!応援団のみなはん!
◆◆1999年8月の北京旅行でおます。
☆5. 車で天安門広場へ行きましたぁ!
有名な天安門なんでぇ、おいらむっちゃ楽しみでしてん。
ホテルのあるワンフーチンから、10kmほどの距離やってん。
車で入り込めましてん。
まぁ 広い広い広場でおましてん。
ほやな、10万人が集まれるという広場でおましてん!
ここに、民衆を集めて演説でおますかぁ?
天安門の上から、声が届くんかいなぁ・昔なぁ?
(1) 広場の端っこに細い長い溝がありましてん?
おいらでも、簡単にまたいで超えられるわぁ!
ここ雨降ったら、排水溝になるんやわぁ?
網目の蓋をしてまへん。小川になるんや!
「この溝は、10万人のためのトイレなんです!」
とガイドはん、下を向いて言いにくそうにやぁ。
運転手はん、日本語まったくわからんそうやったぁ。
ふうぅん 集会の時にゃ、公衆便所でっかいなぁ!
まぁ 男は、ええやんとしてもなぁ?
そうかいなぁ、男ばっかしちゅうことかぁ?
答えてくれる人、だれもおらんかってんや!
(2) その広場の向こうの端に天安門おましてん。
日本でみるような門じゃありまへん。
でっかい建物でおます。
1999年10月1日にゃ、ここで国慶節おますんやってぇ!
そう 秋にゃ、中国建国50周年やという。
その準備でおますがぁ?
観光客、パラパラでしてん。
天安門なぁ、白い天幕を被ってますんや。
工事用の足場ものぞいてますんや。
おいら、カメラ持ったまま見上げるだけでしてん。撮影したないでぇ!
ほしたら、後ろからトントン肩をたたかれましてん。
そして、目の前に写真が出てきましたぁ。
ふりかえったら、オッチャンがにゃっとしてましてん。1000円!
「うわぁ これきれいやぁ、天安門!」
ナビチャンの声で、おいらも見つめましたぁ。天安門のきれいな写真!
カバンから1000円札を出しかけたナビチャン。
だれかが、おいらの手の写真、ひったくりましてん!
ええっ? 顔を上げたら、国防食のオジサンが去っていくとこでしてん。
「ちぇっ!」っと舌打ちして、オッチャンも反対側へ逃げていったぁ。
「あの写真ほしかったわぁ!」惜しがるナビシャン。
ガイドはん、何事もなかったフリしてましたぁ!
その後にぃ、
紫禁城の見学に行く車の中でぇ。
「ごめん、憲兵のいることを言いわすれてましたぁ!」とガイドはん。
観光ガイドがかかえるお国事情も、あらまし話してくれましてん。
▼参考:天安門(てんあんもん)
中華人民共和国(中国)の北京市にある昔の城門。
紅いい色の城壁と瑠璃瓦が特徴的で、高さが33.7mもある。
1949年10月1日、この門の上より、毛沢東主席が中国建国を宣言した。
その後、一党独裁の象徴的存在となっている。
1989年、天安門広場に民主化を求め集まっていた一般市民のデモ隊に武力弾圧を行った。
この天安門事件が、その存在を世界的なものとした。
中国の北京市の中心にある故宮(こきゅう)、旧紫禁城の正門である。
長安街大通りに面して、近くには人民大会堂、中国革命歴史博物館、毛沢東主席記念堂、政府要人の居住する中南海地区、北海公園などが集中している。
門の右が労働人民文化宮、左が中山公園、前方の午門の正面が故宮博物院。
天安門は中華人民共和国の象徴であり、中国の国章にも使われている。
門前の天安門広場は、国慶節などの行事が行われる。
現在は、観光客も城門に上り、天安門広場を見物できるそうや。
(3) 正面にある天安門からは、入れない紫禁城でおましたぁ!
でっかい城門が、四方にありましてん。
清王朝の末期にゃ、守旧派との対立が激化しとりましたぁ。
故宮の大奥では、皇帝の珍妃が井戸に投げ込まれて溺れるという事件がありましたぁ!
このあと、紫禁城は、外国によって占領されましてん。
第二次大戦後、毛沢東革命軍と蒋介石国府軍との闘いで、紫禁城450年の遺品は、運び出されて台湾の故宮博物館にあります。
北京ツアー、この時にゃ、故宮博物院やったと思いますぅ。
こきゅう、こきゅう、とガイドはん、連呼しとりましてん。
いつも、短い説明しかしまへんガイドはん。
パラパラ パラパラとしかいない他の観光客、みんな静かに観てるだけでしてん。
専門的に説明する案内人もありまへん。
もちろん、案内テープレコーダーの貸出も、あれしません。
(4) ほやが、城壁の内にゃ、ぎょうさんの故宮あってよう憶えてまへん。
なにせ、城門の中は、東京ドーム15個分もあるというんでぇ?
まぁ、いっちゃんでっかいのを記憶してますなぁ!
これが王宮やなぁ!
世界最大の木造建造物やという。
まだ、観光に開放して間がないんやなぁ。
こっからは、確か撮影禁止やった気するなぁ。
故宮博物院いうても、展示品あんましおまへんでしてんや?
がらんとした広間に、壁の飾り物、机の上にでっかい物おましてん。
ほんまぁ、日億おまへんでぇ。
たいしたもん、なかったなぁ?
そうやん、皇帝が座る専用の豪華な椅子がおましたわぁ。玉座!
それに、皇帝だけが昇り降りする階段が記憶におますわぁ。
「紫禁城の大奥、ここまでにゃ入れてまへんなぁ。
(5) 井戸、有名なでっかい井戸がおましたぁ!
清朝の君主の若い珍妃が投げ込まれて溺れた井戸おました。
投げ込まれた?自ら飛び降りた?
でっかい深い井戸を覗いた記憶おます。
これは、日本でも有名な話でっからなぁ!
晩年、浅田次郎の作におます。
「蒼穹の昴シリーズ」「第二部・珍妃の井戸」にでてきますなぁ。
さらに、「中原の虹」と続きますんや。
たいがいの超大作でなぁ、読みくたびれましてん!そんなん思いだしましたぁ。
(6) 最近は、内部まで入り込めるんやそうな。人気の観光地!
国連ユネスコ世界遺産の登録が、驚異的に増加しましたなぁ!
インターネットで見られるようになりましたぁ。
さらに、新型コロナウィルス感染症の蔓延がもたらしたものであるがぁ。
そんな巣ごもり生活で、
オンラインで旅行する。
新たに間接的に観光を楽しむ形式となったぁ!
※参考:いつまでアップしてますかなぁ?
北京紀行「世界遺産 紫禁城(故宮博物院)」 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=uvyUIsm_8NA
*開く
☆☆ 国内のお客はん、外国からの観光客はん。
最近は、むっちゃ賑わってるようでおます。
しかし、残念ながら、ここんとこ新型コロナウイルスの感染症の増大でぇ?
外国からの客も激減。さっぱりでおますがぁ。
とはいうものの、殆どの展示品ちゅうたら、台湾の故宮博物院におますんや!
革命軍との内戦の時に、国府軍が持ち出してしまいましてんや。
今じゃ、台北に立派な故宮博物館でけてますんや。
案内テープで、くわしゅう解説が聴けましてん。
おいらでも、よう分かりましたわぁ!
◆◆◆ 1999年8月の北京観光にゃ、まだまだ続きがおます!
北京の一般の人々の暮らしぶりを見学しました。
それは、胡同(フートン)でおます。
王府井(ワンフーチン)地区・泊まったホテルのある近くでした。
広い通りから、横に曲がり細い路地に入ります。
さらに、折れて狭い道にはいります。
いわゆる、一般住民の家屋の集まりでしたぁ。
その集まりを胡同と言いますんや。
しかも、このあたりにゃ、ぎょうさんありますんやってぇ!
・ 四面を塀で囲まれた敷地にある複数の家屋でしてん。
四合院ちゅうとこでしてん!
ガイドはんに続いて、門らしきとこ入りましたぁ!
中庭らしきとこがおましてん。
確か、井戸とか便所があった気しますぅ。
いくつの家庭があるんかいなぁ?
すたすたとガイドはん、入って行きましてん。
家の中に入ったら、通路の両側に広間おましてん。
老夫婦が応対してくれましたぁ!
他の家族は、外出してるという。
ああ 観光会社と見学契約してんやなぁ。
ガイドはんの通訳で、簡単な会話しましたぁ。
個人の家庭を覗く感じでしてん。
なんか、キョロキョロでけへんかった気しますぅ。
そう 質問もあんましなぁ。
ふうぅん こんな具合で共同生活してるんやぁ!
感触だけでしてん。
おばあちゃんが、お茶とお菓子を出してくれましてん。
漢方薬みたいな味のお茶でしたぁ。
お菓子は、ようわからん味やってん。
せっかくの接待やん、いただきましてんや!
まぁ 日本の長屋を塀の中荷入れた感じでおましたぁ。
ああ 日本の京都の町屋みたいかなぁ?
勿論 カメラ撮影は、絶対あきまへんでしたぁ!
ガイドはん、長居は無用とばかりに、
さっさと外に先導しましてんや!
ほんまのさわりだけでしたぁ!
▼▼参考:四合院の説明
中国北方の住宅と言えば、北京の四合院が代表格である。
伝統的な一般の住居として、元王朝の時代(1271〜1368年)に建てられ始めた。
今もある四合院の大多数は、清王朝の時代(1644〜1911年)から1930年代にかけてである。
四合院の「四」の字は、東西南北の四面を表している。
「合」は取り囲むという意味で、四合院は四つの面に家屋があり、あるいは四つの面が壁に囲まれた家屋のことである。
四合院とは、一つの総称である。
建築面積の大小や異なる方角に組み合わせることで、
大四合院とか、小四合院とか、三合院がる。
外に通じているのは、門だけである。
普通、窓はない。
あっても、南向きの壁の高いところに小さな窓がある。
門を閉めてしまえば、外の世界とは遮断される。
四合院に住む人は、あまり隣人とは交流しなかった。
住人は、小さな庭で暮らしていた。
世間とのもめごともない。
四合院は、歴史の奔流のなかで、揺れ動く社会のなかで、
北京人が求めてきた心落ちつく閑静で安楽な棲み家でした。
北京の人々は、数え切れないほどある大小様々な胡同(路地・横丁)の四合院で、
代々で長い長い年月を暮らしてきたのである。
☆6. そういやぁ、 動物園にも行きましたわぁ!
なんちゅうかなぁ、パンダ公園いうたほうがええかなぁ?
パンダの他、何もおらんかった気しますぅ。
なんかぁ、でっかいオトナのパンダが寝そべってるだけでしてん。
10頭ほどおりましたかなぁ?
薄汚れた白黒でしてん。匂いもたまらんかったわぁ!
おお すんばらしい! なんて頼まれても言えまへん。
ぜんぜん 可愛いげありまへん!
赤ちゃんパンダやったらぁ、魅力あってんやがぁ?
ここも、そさくさと退去しましてん。
「ごめんやでぇ、朝からやったら、パンダも動きまわってるんよ!」
申し訳なさそうなガイドオバチャンの声!
ふうぅん そうなんやぁ。昼寝タイムやってんかぁ!
☆7. そうそう 足揉みマッサージの店に行きましたわぁ!
お湯の中で、足首まで浸かりますんや。
足のツボを両手の指で押さえてくれます。
外に出て歩き出したら、足元が軽い感じやってん。
・次に入った店は、全身マッサージの店でしてんや!
始まったら、あっちゃこっちゃが痛いんでおます。
全体重を手の指に乗せて マッサージですんや!
ストップ、ストップって言うても、止めません。
散々の痛い思いで、外に逃げ出しましたぁ。
旅行社、サービスで組み込んでんかいなぁ!
☆7 この日は、四川料理の店に行きましたぁ!
さて 何を食べてんか、思いだせまへん。
麺類が、口におうた気しますぅ。
北京料理よりは、食べれた記憶おますぅ。
中国料理にゃ、大別して四種類ありますな。
ぺきんりょうり・四川料理・上海料理となぁ!
☆8. いまからサーカスに行きますがぁ?
テント型と劇場型とありますよ。
どっちゃか選び!という。
動物の臭い匂いを敬遠したナビチャン、その願いで劇場。
ガラガラの客席やったぁ。
広い舞台じゃ、サーカスとは思われへんかったぁ。
数人の男女が、飛んだり跳ねたりの活動でおましてん。
あれあれ こりゃぁ、ただの曲芸やんかいな?
高いハシゴとか、高い平行棒とかでぇ。
なんか、昇り棒みたいんもあったぁ。
10人ほどで、いろんな曲芸やってましたわぁ!
ああ 思い出しましてん。京芸でおましたぁ!
テレビで見た事おましてん。
おいら、やっぱり大テントの中でするライオンやタイガーの曲芸が観たかったぁ!
☆9. なんか知らんがぁ?北京大學へ行きましてんや!
だだっぴろい敷地の大學でおましたぁ!
ほんまにぃ、北京大学に来てるんかぁ??
ある教授の研究室に、入りこみましたぁ。
先客がありましてんや。
そのようすを見ていて分かりましてん。
なんのことはない、漢方薬の宣伝と売り込みでしてん。
一応、研究報告を聞きましたぁ。
ほんでぇ、すぐには、買うつもりはないのでぇ!
そう言い残して、さっさと外に出ましたぁ!
ガイドはんも、教授の話を無気力に聞いてる二人を見ていて納得してんやろなぁ。
なんか、現実感に乏しいなぁ、あたりを見まわしてんや!
建物だけは、大學らしい感おますがぁ?
学生とおぼしきもん、ほんまぁ認められまへん。
しゃぁないかぁ、夏休みやもんな!
☆10. 「もう一つお店、つきあってほしいんですわぁ!」と ガイドはん、下手できましたぁ。
シルクの洋服なんかを製作販売してるとこでしたぁ!
こりゃぁ こまったなぁ。
ちょっとの時間じゃ、終わるわけないわぁ!
そうでんにゃ、本人のサイズを測ってから好みの服を探しまんにゃ。
それを本人用に、寸法直しするんやそうな。
「気にいったもんあれへんかったわぁ!」という声を待ってましてん!
男性ばっかしが座ってる別室おましてん。
お客はん、かなりあって賑わってましたなぁ。
でも 外国人ばっかしでしてん。
黙ってると、何も分からん日本人やん?
退屈しのぎに、広告パンフレットを見てましたぁ。
・3000年も前から、シルクってあってんや。中国が原産地!
そうやなぁ、シルクロードで西洋に運んでてんやなぁ。
ふううぅん 日本にも弥生時代に伝わったそうやん。
おいらの子どもの頃、桑を栽培して蚕を飼うてる家あったわぁ。
そういやぁ この頃じゃ、養蚕業むっちゃへったなぁ!
安価な化学繊維の台頭でぇ、売れへんようになってんや!
中国の養蚕業の話せぇへんかったなぁ。ガイドはん!
盗難アジアで生産、それを逆輸入してシルク製品を造ってるんやぁ!
そうかぁ、この時間は、ガイドはんの休憩時間なんやぁ!
どっかの部屋で、ガイド仲間でオシャベリなんやろな?
☆☆ 最新北京事情 こんなもんが、ネットに出てましたぁ。いつまでアップされてるかなぁ??
おいらの旅行記より、わかりやすい最近の北京事情でおますわぁ!
【LIVE】変わりゆく街、変わらない街〜 中国 北京から生配信(2021年5月22日)- YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=UmSUSBJiZ8s *開く
☆10. 今ひとつ、観光したとこありましてん。すんばらしいとこでしてんや!
そこは、みなはんご存知の「万里の長城」でおましたぁ!
そういやぁ 行っておきたい歴史的建造物でおましたわぁ!
珍しくこの日は、朝早い時間の出発でしたぁ。
遠いんでかなりの時間がかかるんやそうな?
この日も、晴れた雲一つないドライブびよりでしてん。
1) 観光旅行社の車が市街地を出ると、広い道路がおましたぁ。
なんかなぁ、新しい高速道路みたいでしてん!
広めの片側二車線の道路でしてん。
両側にゃ、二階建ての集合住宅が続いてましてん?
これから、こんな住宅が、どんどんできるんやってぇ。
あの四合院に代わって市民の住いになるんやそうな!
有料物件なんやってぇ!
へぇぇ 私物化を認めてるんやぁ??
個人の収入が課題?ああ ホワイトカラー向けかいなぁ!
一部の資本主義経済を受け入れるということかぁ!
2早朝空いてる道路、どんどん車は走るんや。日本の中古ワゴン車!
家よりも、殆ど原野を左右に見てでんな。
何を栽培してんやろっ?
殆どしゃべらんガイドはん!
そういやぁ 中国にきてから、雨降りらしきもんなかったぁ。
乾燥してる暑い夏やん、作物ないんかぁ?
それに、河川らしきもん、認められまへん。
ガイドや、連れて歩くけんど、説明できません。
観るのは、自由ですよ!
そう 理解して質問するん止めましてん。おいらんち!
3) スピードを緩めて、右側に寄せて停止した運転手。
あれっ どないしてんや?
途端に左側の追い越し車線をトラックが何台も通った!
幌つきの軍用車でしてん。
見ると、兵士が、鉄砲を肩にして座ってましたぁ。
こちらをみつめてましてん!
びっくりしてんは、兵士のようすでしたぁ!
こちら向きに二人やん。もっとぎょうさん乗ってるみたい。
まるで アメリカ兵そのものでしてんや?
半袖セーラー服に帽子の若者でしてんや。
前の肩に銃を載せた、厳しい顔の男性兵士!
天安門での軍服とは、まるでちゃいましてん。
「ガイドはん、あれも軍隊でっかぁ?」
おいら、思わずたずねてましてん。
「黙って、黙って、前を見ててぇ!」
小声でしっかりと、ガイドはん。
そうかいな、見てはあかんもん見てしもうたんかぁ?
「見ざる・言わざる・聞かざる!」の北京旅行。
ほい 忘れてましたわぁ。ごめんやっしゃ!
朝出るんが早かったんで、道路もすいてましてん。
意外と到着が、速いもんやってん。
走ってる窓から見える山、全然おまへんでしたぁ。平野を約2時間!
ほんでぇ、到着と聞いてもなぁ、高い堤防があるだけやん。
右を向いても左を向いても、ずううぅと高い堤があるだけでしてん。
ちょっと待って屋、城ないでぇ?
高さ30mほどかなぁ、斜面にゃ、草とか低い灌木、そこに岩もあったぁ。
万里の長城っていうのは、北方騎馬隊の侵入を防御する城壁でしてんや!
車をを降りたとこは、でっかい階段がおましたぁ。
幅が10m足らずのわりと緩やかな石の階段でおましてん。
この時間、上から降りてくる人が多い。中国語ばっかしでしてん?
「きつい階段ですよ。上に登りますか?」とガイドはん。
せっかくやぁ、上に行こう!と上がり始めたぁ二人だけでぇ?
ほんまぁ、むっちゃ難儀な階段でしてん!
段差いうたら、高いのと低いのとが混ざってましてん。
それに段の奥行きもバラバラでしてん。
さらに、長年の風雨でがたがたの石でしてんや!
いや そうやないなぁ?
これ 攻め降りてくる外敵が、スムースに降りられへんように工夫してんやわぁ!
ましてや、騎馬隊の馬も無理やでぇ!
途中で休憩して、おいら振り返って見て、そない思うたぁ!
やっと頂上についたぁ。思う多よりも広いもんやったぁ!
向こうのほうは、どこまでも短い草の平原やったぁ!
足元から下の方じゃ、登りにくい急斜面でしてん。
ううぅん ここで見張りしてたら、外敵をキャッチでけるわぁ!
周りを見ると、いろんな形の土塁おましてん。
ははぁん ここで待ち伏せしててんやなぁ。完璧な守りやわぁ!
おいら、南北やと思うてたが、西から東へと長居土手やったわぁ。
これ造るん尽力やってんや、砂・土・石を運ぶんなぁ。
かりだされた人民、どのくらいでっかなぁ?
またまた、しんどい思いしてややこしい階段を降りてきましてん。
来たときにゃ、ぜんぜん気つかへんかったがぁ。
降りてきたら、食堂とか土産物屋とか、広い公衆便所とかがおましたぁ。
お土産を買うつもりで入ったナビチャン、首をフリフリ出てきましてんや?
買うて帰っても、お土産物になれへんわぁ!
またもや、二時間かかるんで、急いで出発やってん。
ほんでも、きつい階段の往復やってんでぇ。疲労困憊!
2時間グーグー寝込んでましたぁ!
※自分の目で見てるんやがぁ、分からん万里の長城やん。
こんな映像のほうが、よう分かりまっしゃろってぇ!
どうぞ 観ておくれやすな!
「万里の長城」は本当に防衛施設として役に立っていたのか? - GIGAZINE
https://gigazine.net/news/20220129-china-great-wall/20220129-china-great-wall
4) 目が覚めたら、食堂の前でしてん。
お昼の食事は、最後の中国料理でしてんや!
これが、いっちゃんうまいもんやってん。
そう 日本人に喜ばれる料理でしたぁ。
周りの外国人も、楽しそうに食べてましてんや!
「だから、最後にしています。上海料理です!」とガイドはん。
二人とも、すべてたいらげましてん。
ああ ほっとしたぁ。
これ 日本で食べる中華料理やでぇ!
やっと大満足の中華料理にであいましたぁ!
そうかぁ、日本人は、みんなこんな食事の体験させられてんやぁ!
おしまいよけりゃ、総てよし。の北京観光かぁ!
・この後、北京空港から、大阪の関西空港に戻りましたぁ。
うわぁ 蒸し暑い大阪やったぁ!
暑い 暑い たまらん。エアコンなしじゃなぁ!
戻ってきてしもうたぁ!
よう 思いだせましてん。昔のことやからぁ! by 白雀 (2022.03.31.記)